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「幼い頃、言葉が遅かった私に童謡のレコードを両親が購入したのが音楽に触れるきっかけでした。曲にあわせ歌っていると心地よくアニメソングから歌謡曲、クラシックを口ずさんでいました。私は歌手に絶対なるんだ!と強く思ってました」。
叔父が医者だったため、医学部への進学が両親の強い希望だった彼女は小学生時代からいわゆる優等生。また同時期に始めたピアノも、何と始めて二日で初級バイエルを弾きこなせるほどで、まさに才女だった。
「勉強と合間のピアノで時間がなく友達と遊んだ記憶もないですね。この頃、音楽事務所のスカウトもあったんですが両親の強い反対にあって断念しました。敷いたレールの上を真面目に歩いてきた子どもだったと思います。周囲にも将来は医者になりたいと話していましたし」。歌手になりたい胸の内を隠し親の希望を優先した幼少期。しかしその一方、いつか両親にも納得してもらえる形で夢を実現しようと決意。それは厳しい中にも感じることのできた両親の愛を受けとめていたことに他ならない。そのためにはまず医者になることと考え中学から本気で医学部を目指しガリ勉に。高校時代も寝る間を惜しみ猛勉強の日々だった。
「この頃は母親が入院していたこともあり大変でしたが、所属していた合唱部で歌への思いを解消することで自分を保ってたんです。また短歌づくりに没頭したのもこの時期で、将来への不安や家庭や学校への不満を短歌で消化していたのかもしれません」。
しかし医大1年目の受験は不合格。歌手への夢は後にまわし、ひたすら勉強をしていた彼女にとってそれまでの人生で一番の挫折だった。浪人した末、ある医大に受かり、やっと目標の半分を達成できたという満足感を感じたという。大学時代はジャズ研究会に所属。プロのジャズメンと一緒ステージに立ちライブを歌うことも。これまで勉強漬けだった彼女が始めて開放された時期だった。
「そんなときマライヤ・キャリーの歌を聞き、高い音域には自信があったので触発されたんです。以前のような声を取り戻すため、ボーカルスクールに通いゴスペルを歌い声量を取り戻し始めました。毎日喉をつぶしそうになりながらの練習で、限界かという不安を抱きながら続ける中7オクターブの音域を手に入れたんです。この大きな壁を乗り越えられたのだからもう大丈夫、と強い心を持てたのはこのときでした」。
それから数多くのオーディションを受け始め、' 01年にスタンダードジャズを歌ったCDを自主制作。また10代の頃からしたためた短歌集を出版。そしてオーディションに自作曲を応募。プロデューサーに技巧に走らない自然な歌声を認められ「LOV 4 U」で全国デビューと夢を叶えていく。
「メジャーデビューで何より嬉しかったのは、お店で売っている、というリアルさと聴いて良かったという声でした。私1人ではとても全国デビューまで至らず、ライブ前に家事をおざなりにしてしまうような私の協力をしてくれる家族があってこそだと思ってます」。
感謝の気持ちを忘れず、休日は温泉旅行やお子さんの学校行事など母としての役割もこなす。彼女は経験から子どもに何も強要せず、やりたいことを本人が見つけたときは背中を押してあげたいという。現在、発声練習は車や家の中、朝スタッフが出勤する前など日常に組み込み、腹筋を鍛えるためジムも欠かさず通う。
「多くの人々に私の歌を聴いて頂き心に残る曲を残したい…それが夢であり生きる道と信じています。私自身、ひとつひとつ夢を実現しているのだから人間に限界はないのではないかと感じます。私だけのカラーを感じてもらえるシンガーになるため、まだ暗中模索中です。ですが転んでもワラをも掴んで立ち上がっていくんだ、という気持ちで前進できるのは愛する存在である家族がいつも力を分けてくれるからなんです」。
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松坂 優子さん
YUKO MATSUZAKA 松坂皮膚科院長/シンガーソングライター 札幌市豊平区美園7条5丁目4‐8 TEL.011‐818‐3255 http://www.matsusaka-clinic.com |
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