"rouge"は「口紅」の意であり、キュートでセクシーな女性を象徴。
"non"を付けることで、「素顔の」「本音の」という気持ちを込めました。

ノン・ルージュな彼女vol.11 どん底の生活の中で明るさを失わない人の強さに元気づけられる日々でした 山田暁子さん

NGOや国連への夢を捨て弁護士になることへの決意

合格者の平均年齢が27〜28歳、東大合格よりも難しいといわれる司法試験。大学在学中に、わずか2度目のチャレンジでその難関を突破し、現在弁護士として活躍しているのが山田暁子さん。しかし司法試験合格後、あえてその順調なスタートを1年遅らせたという。その理由は…。

学生時代、国際協力活動としてフィリピンに
  「高校時代から国際協力に憧れてまして、開発途上国へ物資を調達する仕事のお手伝いをしていたんです。その頃から将来はNGOか国連で働きたいという夢を抱いてたんです。生まれ育った愛知県を離れ京都の大学の法学部に入学してからも、それは変わりませんでしたね。在学中も勉強よりも国際サークルの活動ばかりしてましたから(笑)。
でも大学2年で進路を考えなおした時に、人の役にたつ仕事なら海外に出なくても、もっと自分の身近なところにあるんじゃないかと。それが弁護士を目指すキッカケだったんです。ただ試験に合格して大学を卒業する時、ふと自分の中に国際協力への未練みたいなものがあったんですね。それを振り切ろうと弁護士の実務修習に入る前に1年間海外放浪をしたわけです。この間はJICA主催の研修に参加したり、カナダに語学留学しながら現地のボランティアをしたりしてました。これで不完全燃焼だった夢を燃焼しきったんです」。

大阪への弁護士修行から札幌へ目指す自分像は街のお医者さん

その後、山田さんは福岡へ渡り1年間の実務修習の生活を送った後、大阪で弁護士登録をし弁護士としてのスタートをきった。所属した事務所は大阪最大のホームレスの街・あいりん地区に隣接。近所では覚醒剤の取り引きが日夜繰り広げられているという環境だった。

現在、専属の事務スタッフとは息もピッタリ
  「最初の1年は大変でしたね。弁護士に相談に来る方っていうのは、この人なら何でもやってくれるって思ってくる方がやはり多いんですよ。私もどんな事でも役に立ちたいと思って、最初は何でも引き受けすぎてたんですね。相談を受けてもアドバイスするはずがカウンセリングみたいになってしまって、依頼者が個室から泣いて出てきて事務所のスタッフが驚いたなんてこともありました(笑)。
ようやく自信が出てきたのは2年目くらいだったでしょうか。私は企業法務よりも市民の方の相談を扱う仕事がメインだったのですが、場所柄依頼者にお金持ちの方はいません。いかにお金の無い方たちから弁護士費用を頂くかという悩ましい問題もありましたが、経済的にはどん底の生活の中でも、明るさを失わない下町の大阪人の強さに私も元気づけられる日々でしたね」。
  人生の岐路となる場面ごとに様々な土地を渡り歩いてきた彼女。大阪の風土にも慣れ、しばらくは定住かと思っていた矢先、今度は夫の大学への就職を機に札幌へ移り住み札幌弁護士会に登録替えすることに。  「弁護士になってまだ1年半の時期でしたからしばらくは別居しようかと悩みました。でも色々な街に住んで様々な人と出会える機会は、私個人にとっても仕事の上でもいいことだと思ったんです。札幌は自然も多いし食べ物も美味しいですからね(笑)。現在は犯罪被害者支援、また女性の深刻な問題としてドメスティック・バイオレンスなど真剣に取り組んでいきたいと思っています。合わせて市民の法律相談一般を扱うホームロイヤーを目指したいですね。何かがあった時に気軽に相談に行ける、街のお医者さんのような弁護士になるのが、これからの目標です」。
山田 暁子さん
Yamada Akiko

「札幌おおぞら法律事務所」弁護士